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晴れやかなる四十路へ!

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「ゲシュタルト崩壊」を回避せよ!


前にある「秋葉原事件」の本の中には、具体的な言葉として出てはきませんが、
「ゲシュタルト崩壊」という言葉があります。
ゲシュタルト心理学で、知覚における失認現象のひとつです。

よくある例では「歩」や「借」という漢字を見続けていると、
ほんとうにこんなカタチの字だったのか、自信がなくなるという現象です。
細かな部首や部分に目線がいってしまい、
全体として認識していた漢字に、疑念がわいてくるわけです。

細かい所を注視したために、全体としての認識が揺らぐのです。

漢字でなくとも、音楽のメロディ(旋律)においても、
「メロディ」→「フレーズ」の集まり→「単音」の集まり、
と、細分化して捉えてしまえば、
メロディとしてあった認識も価値も見失うことになります。

また、これはやや的外れかもしれませんが、
身体も、頭や胴、腕や足と細分化してしまえば、
生命活動の営みは見えてはきません。


以前、このブログでも「ロジックとスケール」として書いた内容と重なりますが、
物事の細分化は、複雑に絡み合った問題を整理するには有効でも、
総じて価値を分断し矮小化する、危険な兆候のようだと思いました。

アイデンティティーの確立ができずにいる思春期の迷走は、
その場とその時の自分しか視えず、
人生の長い枠組みで価値を見出せないことにあるのではないでしょうか?

社会に出てみれば使わないであろう学習内容であっても、
長い人生で問題にぶつかった時の思考訓練のひとつと捉えれば、
価値を見出すことができるわけです。
また、具体的に自分の目標とする将来像をイメージできれば、
歳月の積み重ねにおいても、より早く具体的な行動をとることができ、
その価値を見出せるということでしょうね。

しかし、自我を抑圧され続けてしまえば、誰かの操り人形となって、
その日暮らしや、一時の快楽しか求めなくなってしまいます。

快楽は一時であるからこそ快楽で、
そこに努力の結果としての充実感や、将来への継続性が見えなければ、
おおよその快楽は、後に虚脱感と空しさが襲ってきます。

そして、空しさは自暴自棄の一因ですからね。
危険因子を抱えることになるのでしょう。


今回は、悲劇的な秋葉原事件の本を読んだわけですが、
アイデンティティーの確立も、自分の人生の価値も、
「ゲシュタルト崩壊」して見失うことなく、
一歩でも半歩でも、前に進めたと思えることが、
きっと大切なような気がしてならないのでありました。


by ambitious-n700 | 2017-05-14 09:54 | 漫画・TV・映画等 | Comments(0)

「秋葉原事件」読了


「秋葉原事件-加藤智大の軌跡-」読了しました。
著者は中島岳志さんです。
TVのコメンテーター等で顔を見かけたこともありますが、
専門は政治思想の研究をされている方らしいです。

とはいえ、今回、私はタイトルで手にとって読み始めました。

2008年6月に秋葉原歩行者天国で発生した殺傷事件。
その加害者の少年期から犯行までの軌跡を辿ることによって、
現代社会に潜む病巣を浮き彫りにしようとしています。

単純にひと言で済ますことができない、様々なことを感じました。
その悲劇的な事件の原因は、決してひとつではなく、
様々な要因が重なり合って、犯行に駆り立ててしまったようです。

類似の事件や見境ない衝動を回避するために、
私たち現代人が学ぶべき知恵が、隠されている気がしました。


犯行動機に、まず上げられるものは、
承認欲求が満たされないことからのストレスでしょう。
きっと誰にでもあるであろう、
この承認欲求を一体どう処理していけば良かったのか?

承認欲求を満たすには、一番が他者から認められることですが、
それが叶わず、なおかつ、他者が複数で集団であったとき、
言い換えれば、それはイジメの構図となります。
集団が誹謗中傷や無視を行い、個人に疎外感を与えてしまいます。

また、その個人がアイデンティティーを確立できておらず、
もしくは、それが脆弱であれば、
イジメを受けた個人は、自己を放棄して、
負の感情を抱き破滅的な思考へ陥いることも、わかる気がします。

破滅的な思考のなかにおいても、他者の視点をもって、
他者の身体生命を巻き込むことをしなければ、自殺を考える至り、
他者への憎悪が深かったり、他者を巻き込むことも厭わなければ、
殺傷事件までが選択肢となり得るのでしょう。

いずれも、自身のおかれた状況に望みを見出せず、
自暴自棄からの衝動であることには、変わりはないと思います。

そして、ここで再スタートの位置に立てるか?否か?が問題なのでしょう。


話が少し外れますが、家庭用ゲーム機が出始めてブームになった頃、
「ゲーム脳」という言葉や「リセットすればいい・・・」という言葉が、
世の中に溢れていた時期がありました。

失敗してもリセットして最初からやり直す、すなわち、再スタートをする。

これを仮に「リセット的思考」としますと、
失敗して、どん底を感じている時には、とても有効な気がします。

しかしながら、この本を読んでいて立ち直るには、
もはや「リセット的思考」だけでは成り立たない時代なのだと私は思いました。

SNSや最近に出てきたゲームアプリでは、原則的にリセットはできません。

デリート(削除)したとしても、ログ(記録)が残ってしまいます。
失敗も成功もやり直しができずに、受け入れて進まなければならないのです。
黒歴史なんて言葉も、リセットできない時代の象徴かもしれません。

また仮に、複数のアカウントを作り、分身を増やすことができたとしても、
見破られたり、失敗をくり返せば、次第にコントロールが取れなくなり、
分身が増え続ければ、それは、実体を見失う危険すらあります。


「リセット的思考」に対して、
失敗も成功も記録として積み上げていくことを「ログ的思考」としますと、
これの使い方、気持ちの切り替え方が、私は大切なような気がしました。

再スタートを行うには「リセット的思考」の方が都合が良いですが、
誰もが年月を重ねることしかできない人生ならば、
「ログ的思考」である方が賢明です。

しかし、失敗もログに残るってことは、精神的にタフでないと大変です。
ましてや、見返すことのできるSNS等の場において、
他者から失敗をなじられ続けては、終わりのない責め苦となることでしょう。

それに、自身で失敗を見返して気落ちをしていては再スタートはできません。
失敗も糧として、新たな実績を積み上げなければなりません。

本来は見返すことができるログも、できることなら成功体験を多くして、
アイデンティティーの確立に繋げることが理想なのでしょう。


そして、これは思春期の過ごし方が大きいのだろうな・・・と思いました。
親が干渉しすぎると、子の自我が育ちません。

むやみやたらに、思春期の子の失敗をなじり、親が手を出しては、
親や教師の期待や思惑を理解することはできても、
自我の成長がままならないだろうと思います。

アイデンティティーの確立が不充分なまま、すなわち、自我が脆弱なまま、
冗談半分やストレス発散から、分身となる仮想のキャラクターを作り上げていけば、
分身と自己を見失いやすく、分身が受けた誹謗中傷や疎外感までも、
自己にはね返り、混同してしまう危険があると思いました。


せざる得なかったとしても、やり直しを何度もくり返すほどに時は流れ、
歳を重ねるごとに、社会的な制約は多くなっていきます。
人間関係で不義理を働いていれば、リセットできない遺恨が残り、
また、物理的な距離を置かねば、現実では再スタートもやりづらくなってきます。

次第に活動できる場が限られてきてしまい、居場所を失い、
精根尽きて再スタートができなくなった時、
自暴自棄は芽吹き、破滅的な衝動の引き金になるのかもしれません。


あぁ~・・・書きまとめていて、ちょっと心理的プロセスが怖いですね。
誰の身にも、起きかねないような気がしてきました。

ですが他者が認めなくとも、どこかで自分の良さに気がついて、
自身が自分を認めることができれば、もしかしたら救われたのかもしれません。
何かに自信を持つことは、
他者に頼らず、承認欲求を満たすことなのかもしれないと思います。

私も思春期の子を持つ親として、過干渉には注意をしながら、
我が子の主体性を尊重したいと思いましたね。


他に「ゲシュタルト崩壊」という言葉が、読んでいて私の中で浮かびましたが、
これを書き始めるとまた長いので、次回に続く・・・


by ambitious-n700 | 2017-05-13 15:18 | 漫画・TV・映画等 | Comments(0)

NISA運用:取得価格の更新


みなさま、資産運用してますか?世界の情勢が不安定で先行き読めません。

特に急ぎの資金が必要ではなく、売却も購入も考えたくもないのですが、
NISAが持てはやされた時に購入した株式が、いくつか塩漬けされてます。

保有期間が5年という言葉が、どうにも引っかかっておりまして、
2014年NISA口座開設時に購入したものは、
2018年末までの売却益は非課税らしいです。

5年を超える場合はロールオーバーと言って、
さらに長期保有もできるらしいのですが、取得価格が更新されるそうです。

・・・ん?なに?どういうこと?
この言葉だけで、みなさま、損得勘定できますか?

できない私は、この場を借りて整理をしたいと思います。


5年未満で売却益を確定したら、そのまま非課税で問題ない。
でも、売りたくない場合は、
①NISA口座から一般の口座へ移管する。
②ロールオーバーをしてNISA口座で所有する。
上記の二択を迫られる。

①の場合、移管する時の時価が新たな取得価格とされるらしい。
すなわち、2014年にNISA口座で購入した株式も、
2019年に一般の口座へ移管した場合は、その後、
2019年の時価と売却価格を用いて差益を計算するということ。

仮に、NISA初期取得価格をA、
五年後の移管時の時価をB、売却時の価格をCとした時。

〔C〕-〔B〕で課税額をはじき出すことになる。

さて【A<B<C】の時、すなわち、値が上がり続けている場合は、
NISA口座で購入したメリットを、持越しをしているに過ぎない。

【A<C<B】や【C<A<B】の時は、
一般の口座でより大きな損益を計上できるので、
口座を移管するデメリットらしいものはない。
但し、どちらもBの時点で利益確定をしておいた方が、非課税で利益も多い。

次に【B<A<C】の時は、NISAで購入して移管したことが裏目に出る。
最初から一般の口座で購入していたなら、計算は〔C〕-〔A〕だが、
NISAから一般の口座へ移管したなら〔C〕-〔B〕となり、
課税される売却益が多くなってしまう。

【B<C<A】なんて、
実際は損益が出ているのに、売却益として計算されることになりそう。

【C<B<A】という値下がり続けてた場合は、
もう泣きそうなんだけど・・・損益計上できる分が減ったことになる。

【A<B】の時は、NISAで購入したメリットは持ち越され、
【B<A】の時は、非課税の優遇があった分、その差額が損益計上できない訳だ。


さて、問題のロールオーバーを選ぶか選ばないかです。

まずロールオーバーをするということは、
残りのNISA枠を利用しますので、
他の株式も購入したい場合は、その枠を減らしてしまいます。
資金もなければ、購入予定がないなら、心配無用ですが・・・

とはいえ、ロールオーバーは、またNISA口座として、
次の5年間を非課税対象にするかしないかです。

含み損が出ている株式を、配当や優待等に重きを置いて、
塩漬け保有も苦ではなく、回復を待つならロールオーバーも良いけど、
なかなか回復の見込みがなく、早くサヨナラしたいのだったら、
一般の口座へ移管して他と損益計上させるのも手かもしれないですね。


そして、NISA制度ができて来年が5年目。
制度をよく理解しているなら、急いで売らずとも良いようですが、
取得価格の更新と聞いて、考えるのがめんどくさいから、
わかりやすく利益確定しようと考える、私みたいな人もいることでしょう。

きっと来年は売りが多くなる傾向だと思うので、
サッサと今から利益確定してしまおうかと・・・

・・・あぁ~・・・思ったり、思わなかったり・・・ですわぁ~!?!?

by ambitious-n700 | 2017-05-08 15:03 | その他 | Comments(0)

神社巡礼の記録25(乃木神社)


先日、乃木神社へ参詣してきました。
乃木希典陸軍大将が神格化して静子夫人とともに祀られています。

都内の別表神社で私が参詣していないところが、あと僅かになって、
このたび、こちらにお参りする縁を得ましたが、
正直に言いますと、ちょっと避けて後回しにしていたところがあるのです。

人物が神格化して祀られていることに対しては、
その人物に偉業を為させるにあたって、
神性が宿り、権現したものと解釈しているので、私は抵抗がありません。
しかしながら、乃木大将においては、
自刃の史実をどう捉えていいものかと、戸惑いが芽生えてしまうのです。
窮地に陥って自刃するなら、まだ理解しやすいのですが、
望むかのように自刃した人物が神格化して祀られている所を、私は他に知りません。

そんな複雑な気持ちを抱えつつ、地下鉄を乗り継いで神社に着いてみると、
数羽の雀が囀り、思ったよりも穏やかな空気が流れていたように思います。
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まずは鳥居をくぐり階段の参道をのぼって、手水舎です。
お清めをして、拝殿前にて二礼二拍手一礼のお参りをしました。

東側に摂社の正松神社、西側には雷神木がありました。
どちらにも参ってから、授与所で御朱印を受けました。
護国の軍神ですから、勝守りなどが多かったと思います。

その後、軍歌の流れる宝物殿を見学。
英国からの勲章や、御殉死の際の軍刀や葡萄酒の瓶がありました。

その生々しさに、こころは揺さぶられますが、
これは是か非か、簡単に判断できない、得たいの知れぬ感情が沸いてきます。

乃木大将の自刃は、十文字に割腹したという、
切腹においても、その作法に則ったものらしいです。

時代が時代ですから、現代人が捉えるよりも切腹は神聖だったのかもしれません。
ですが、罪があるならそれを償い、供養に生きるという発想は、
受け入れられなかったのでしょうか?

こればっかりは考えても詮無く、乃木大将の胸の裡はわかりません。

そして、伝わる逸話からは、他人にも自身にも厳しい人物だったことが窺えます。

旅順攻囲戦の功罪も、そこで実子を亡くした体験も、
私の想像を超えるものであったと思います。

境内を散策しながら、しばらく想いを巡らしていると、
神性というものに、慈愛や寛容といった母なる神性があるとしたら、
乃木大将は、父なる神性だったのかも知れないなぁ~と思いました。

父なる神性ってイメージしづらいとは思いますが、
自他に厳しくとも、そこに「我欲」が殆ど見えないのです。
その厳しさは、他者を慮ってのことだと思うのです。

そして・・・なるほど「神性」は、
「我欲」の対極にあるのかもしれないのだと思いました。


これには、我が家の出来事で思い当たることがあります。

子供を躾けるためとは言いつつも、
その言葉に親の我欲が隠れていると、なかなか伝わらないのです。

わが家でよくあるのが、
「早く食卓に着きなさい」や「手伝いなさい」という言葉ですが、
親が片付けられず困るから・・・、親が忙しくて大変だから・・・、
という親の我欲や都合が隠れていると、子供はよくそれを見抜き、甘えて動きません。

しかし、本当に子供のことを思ってだけの言葉なら、
比較的にまだ、子供の心に伝わりやすいのです。

(生活リズムが乱れるのは悪影響だから)「食事の時間を守りなさい」とか、
(料理も洗濯も練習して身に付ける為に)「手伝いなさい」などの方が、
同じ言葉でも、子供の心に届きやすいように思います。

躾けの言葉を伝えやすくするには、言い換えれば、言葉に神性を宿すには、
親の我欲は、それを邪魔しているのかも知れないと思ったのでした。
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神社に隣接しては、旧乃木邸が保存されています。
厩舎など明治時代の建築物を見ることができます。

庭園もよく手入れされていて、墓所もあり、また、自刃の地ではありますが、
それほど暗い空気を感じることはなかったと思います。


by ambitious-n700 | 2017-05-01 09:44 | 神社仏閣 | Comments(0)