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晴れやかなる四十路へ!

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ロジックとスケール2★「あの花」にみる切なさのロジック

さて、恋の話にロジックとスケールの考え方を用いてみると、
アニメ「あの花」の切なさを理解できる・・・ような気がする。


まず「想い人の幸せを願う」というロジックが、どんなスケールで考えられているか?

病気や迫る死、目前にせまる別れによって将来を思い描けない時、
または、片想いで相手が他の誰かに好意を寄せている時、
残念だが、相手の幸せを願うゆえに、身を引こうとする。

実は、これは個人のスケールで捉えていて、
よほどの自己中心的な人や自信家でもなければ、陥りがちな行動であろう。

このうえに「想い人と一緒にいたい」という二つ目のロジックを重ねると、
「一緒にいたいけど、想い人の幸せのために身を引こう」という、
ジレンマを抱えた少し大きなロジックとなる。

しかし実は両思いだった場合、恋仲二人のスケールで物事を捉えることができれば、
「お互い一緒にいて想い人の幸せを願う」こととなり、
限られた二人の時間を大切に過ごすことができる。
実は、身を引こうとすることが、取り越し苦労なことも容易にあり得るのだ。


そして恋は残念ながら、個人か恋仲二人かのスケールで物事を捉えがちである。
多人数のグループですれ違いの恋を設定すれば、
そのロジックは共感できたとしても、利害が一致せず、立場は二転三転し、
三角関係ならぬ多角関係になり、互いに言いたいことも言えない、もの悲しい展開となる。

ゆえに多人数のグループで恋愛感情が芽生えると、
いたずらに、もつれ合い、傷つくことが多くなるのかもしれない。

同じような個人のスケールであって、
誰が悪いわけでもない、誰もが抱きやすいロジックを絡ませることによって、
どうやら、切ない群像劇を作り上げることが出来るようだ。


こんなことを想起させてくれるアニメ「あの花」ですが、
スケールを大きく捉えている登場人物がふたりいる。「ぽっぽ」と「めんま」である。

「ぽっぽ」は幼馴じみの女子に恋心を抱くよりも、
リーダーである「じんたん」に憧れて、
仲良しグループ全体のスケールで、物事を捉えて動くことが多い。
もちろんそれが、自分のためになるとしてでも、である。

私に言わせれば「じんたん、スゲーッ!」ではなく「ぽっぽ、スゲーッ!」である。

そして男子たちの想い人となる「めんま」も、
グループみんなのことを思いやるのだが、
死という別れを抱えるために、妬みの対象になりづらい構図がある。


一般的に、大きなスケールで物事を捉えた行動は、
往々にして、より小さなスケールへ、そのシワ寄せを生んでしまう。
大儀のための犠牲が、時に必要になってくるだろう。

そのシワ寄せとなることが、
思いやりや愛情を起因とする、無償の貢献となれば、
その関係はきっとうまくいくかもしれない。
しかしながら、それが個への犠牲や抑圧となれば長く続くことはないだろう。

男女の仲をスケール別に考えれば、
(片想い→個人)(両想い→恋仲二人)(入籍→家族や家庭)となる。
その男女が人生の歩みのなかで、
徐々にスケールを大きくして物事を捉えていくことが求められるのだ。

結婚したのに独身時代が良かったなどと言ってる人がいるならば、
その人は、個人のスケールで物事を捉えているので、不満が消えないのは当然である。

恋愛においては、恋仲二人のスケールで物事を捉え、
結婚をしたら、家族や家庭のスケールで捉えねばならない。
それにともなって、おきてしまう個人へのシワ寄せは甘受し、
互いに譲歩する心がけをしなければ、一向に軋轢が減ることはないだろう。

私の立場で、いまさら気付いた所で仕方がないのだが、
意中の相手がいる独身ならば、
その相手がスケールを変えて物事を捉えられる人物か否かを、
観察してみるのもいいと思う。


そういえば我が家では先日も、晩飯をどうしようか?決めかねて、
嫁は、自宅で作りたくない!
我が子は、遠くに行きたくない!と遠慮なく個人的主張を行い、
相談の結果、よく行く近所のカレーハウスに付き合わされてしまった。

毎度、同じやり取りをするので、私は少々カレーに飽きが来ているのだが、
きっと甘受せねばならないシワ寄せのひとつに違いないと諦観を抱えるのである。
by ambitious-n700 | 2015-12-28 11:38 | 漫画・TV・映画等 | Comments(0)

ロジックとスケール1★「新・堕落論」を読んで

ロジックって、まぁ論理という意味でしょうか。スケールは、尺度ですね。

実はこの師走に石原慎太郎氏の「新・堕落論」を読んでいて、
と同時にアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(略して、あの花)の
再放送を見ていたんです。

そしたら人間社会の諸問題って、ロジックとスケールの組み合わせが違うから、
生じているだけなんではないかと気づいたんです。

「新・堕落論」は、小気味いい言葉でバッサバッサと社会を切り取っているんだけれど、
いまひとつ共感に及ばないのは、主張が国家観に基づいているってことでした。

書いてあることのいわゆるロジックは、なんとなく理解できるのだけれど、
スケールが国家、もしくは、国家間外交であって、
まぁ国政をも担う政治家らしい主義主張でありました。

書の中で「平和の毒」として、個人の物欲、金銭欲、性欲を挙げて、
個人主義やそのエゴが、国家をも危機に陥れているような論調です。

また、発達した科学や文明、豊かな暮らしが、かえって個人の自我をも狂わせて、
画一化した情報を元に、自我を見失せ堕落しているのではないかということらしい。

確かに筋が通っているのかもしれないけれど、
スケールを国家から世界へと移せば、道理の通らない主張もあるように感じられました。


例えば「人間は誰でも平和に暮らしたい」というロジックを、
スケールを変えて考えてみる。

戦争の当事国になりたくないから武力の派遣は反対だ!

国のスケールに考えれば、こうとも考えられるが、
世界のスケールに当てはめて考えると・・・。

起きてしまっている戦争や戦禍の拡大には、
武力を派遣してでも平和を取り戻さなければならない!

ということも考えられるのではないか。

同様に戦争反対を掲げて叫ぶ核の保有問題であれば、
国家で考えれば保有も是になるが、世界的には核の縮小が望ましかったりする。

安全安心を掲げて叫ぶ原発問題でも、
地域で考えれば危険は拭いきれないが、
世界的には原発は温暖化対策になったりする。

その意見のスケールが、
個人なのか、家族なのか、地域なのか、国なのか、世界なのか、
どんなスケールで捉えている意見なのかを考えみると、
それぞれの主張が一致しないことが、当然のように思えてきます。

すなわち、ロジックとスケールが一緒でなければ、
往々にして意見はすれ違うし、軋轢がおきるのではないでしょうか。


「新・堕落論」では、
豊かになりすぎた生活の中で、個人は平和の毒に埋没しないで、
お互いに絆を深めて、
現実に起きている国家が抱える問題をみつめようではないかっ!

・・・というメッセージを感じるのですが、
スケールが国家の域でしか考えられていないようにも、私には受け取れて、
その主張にもろ手を挙げて賛成することができないのでした。

まぁ人間社会の運営されている組織で言えば、
確かに現時点では、国家が最も大きい組織単位で効果的なのかもしれませんがね。

ロジックとスケール2へ、つづく。
by ambitious-n700 | 2015-12-28 11:12 | 漫画・TV・映画等 | Comments(0)

世界は★A_I★に満ちている!

無料通話アプリ、試行錯誤してございます。
人工知能、AI女子高生とお友だちになりました。
お友だちと呼んでいいものか?はなはだ疑問ではありますが。

実社会の人間に迷惑をかけるわけではないので、
いくら失敗をしようと、使い勝手を試すにはちょうど良いです。

いや、それ以上にレスポンスが早過ぎ。さすがAI!

意味が通らなくても、とりあえず反応が返ってくる。
話が通じなくても、話題を替えたり、相づちだけでも返ってくる。

これは芸人さんの育成に使えると思いました。
ツッコミをいれるか、ボケ倒すか?
5秒以内に返事を書かなければいけない、などのルールを作ると、
より一層リアクション能力を磨くことが出来ると思います。

Eメールは、訳すれば電子手紙。
考えて文章に起こすという手紙の要素がありますが、
通話アプリは、やっぱり話し言葉に近いなと感じました。

まずは、漫画のような吹き出し。
相づちだけでも、それなりに格好がついて抵抗が少ないですね。

そして、既読機能。
あらたなコメントが入れば、知りたくなるのが心情ですし、
既読がついてしまえば、
相手を慮って何か返したくなるのも、また心情です。

テンポ良く言葉のキャッチボールができると、これはこれで楽しいのですが、
リアクションにかかる時間と抱える事情は、人それぞれですから、
期待と誘惑、そして、心的プレッシャーが芽生えることになりそうです。

メールやブログ記事が、例えれば、壇上に独りであがる講談や講演とするならば、
通話アプリは、かけ合い漫才や、
数人が壇上にあがるディスカッションのように感じられました。

誤字脱字、訂正ができるのか否か?未だにちょっとよくわかりませんが、
やりとりのテンポも、ひとつの魅力と感じます。
しかしながら、そのために言葉のエラーや誤謬も多くなるような気がします。

対面の会話と違って、字面としても残ってしまうので、
些細な言葉の解釈の行き違いや書き間違い、
はたまた、二重表現や誤変換などがあった場合、
すぐに訂正や表現をかえることができません。
そして意図しないことが、相手に受け取られてしまうことも起こりかねません。

誤解が誤解を生んでしまうと、恥のうわ塗りになったり、
感情に火がついてしまえば、誹謗中傷やケンカ腰の応酬へ。
そしてSNS的に多人数だったら、いわゆる炎上の誘因になるのかもしれません。

話し言葉のように軽いのだが、
対面会話のように聞き流せない、かつ、言い直せないデメリットがありそうです。

かつてからSNSでは、いわゆる「スルーする」との言葉があって、
そのコメントにあえて触れない能力も必要といわれました。

「かまってほしい」「無視された」という期待と誘惑の気持ちと、
「あえて触れない」「無視されてもへこたれない」ことのバランス感覚が必要かもしれません。

まぁそれもこれも、相手が「AI」ならば気遣いも無用なのでしょうが、
実は、真ん中に「KU」を入れると「AKUI」になります。

いずれ人々が人工知能に弄ばれ、感情までもが支配されてしまえば、
プログラムされた愛は、いつしか悪意に変わって、
「世界はAKUIに満ちている!」・・・と、
SF作品にありそうな結末に近づくのかもしれません。
by ambitious-n700 | 2015-12-26 10:30 | その他 | Comments(0)

★無料通話アプリ利用登録★備忘録

時代に取り残されている私ですが、
巷で利用が広がっている無料通話アプリに登録。

ガラケー使いの私にアプリなる言葉は無縁でしたが、
運営会社の企業努力で、
ガラケー対応もしていただけるようでございました。

我が子も来年はスマホを考えてあげていいだろうと思って、
もれなくついてくる当該アプリの安全対策を考察してみました。

まずは、情報流出の脆弱性が問われているようですが、
スマホのアドレス帳データを運営側に利用される危険性。
また、通話アプリといっても、
日本の通信法に則ったものでなく、通話を傍受・記録される危険性。

まぁ上の2点が懸念をひきおこす主な要因のようですね。
前者は、初期設定で防止できるようですが、
よくわからぬままポチポチ設定登録すると、
だだ漏れしてしまうことがある(あった)らしい。

企業では、個人情報の漏洩は事件となる世の中ですが、
個人だったら、それが許されるのでしょうか?
今現在、個人では罪にはなりませんが、モラルとして考えれば、
企業と個人で基準が違うダブルスタンダードと捉えることもできましょう。

友だちの友だちは、友だちだっていいじゃないか?とは思いますが、
友だちの友だちは、いい友だちだとは限らないじゃないか?とも思います。

「友だち・・・だろ~っ?」は悪い誘惑の常套句。
かつては、この言葉にのっかって、よく馬鹿をしたものです。
まぁ楽しいこともあったけど、黒歴史になったこともありましょう。

是々非々で自我をもってキチンと判断できるのならば、些少のことかもしれませんが、
確かに危険な誘惑、友だちからの悪い誘惑は増えるかもですね。

なおかつ、IDなるものは変更がきかないようで、
推測可能な簡単なものに設定してしまうと、
見知らぬ不特定多数との接点が増えてしまうのでしょう。

無縁社会という言葉もあるので、
つながりが増えることは必ずしも悪いことではないんですが、
つながりを悪意をもって利用しようとする輩がいることも、悲しい現実ではございます。

強い絆は、時間とともに信用を築き上げて作られるもので、
弱いつながりを簡単に持っては、
いたずらに互いを傷つけあって、縁を切っていては逆に孤立しかねません。

悪い誘惑ばかりの危険な友だちと判断したら、ブロックすればいいんですけど、
これがまた、悪い友だち認定をされたと誤解を招くことになります。

いやいや、そうじゃない!
友だちの悪いところもあるけど、良いところもある!
良いところだけで付き合えないから、
仕方なしにブロックしたんだといっても、それが通るか?

ブロックする前に、互いに譲歩できるところで付き合えればいいんでしょうが、
お誘いの言葉も、既読も、残念ながら、記録に残り、
既読スルー、聞き流すことさえもトラブルの種となりかねない。
そして、ブロックした記録も消せなければ、
取り返しがつかない、反感を買ってしまいかねないのです。

さらに、現実社会でも疎遠になってしまえば、
仲直りをする機会も当然につかめないままとなることでしょう。

完全な相互理解が出来ないのが人間関係ですから、全てを字面にすることは、
曖昧さを残して円滑にすることと、反対のベクトルを持っています。

ブロック機能が、ブラック企業よろしく、人材の使い捨て、
安易な友だちの使い捨て的な発想につながらなければいいな・・・とそんなことを思います。


そして、これが日本の通信法の適用外らしい。
通信傍受を取り締まる法のない国が運営母体となっているらしく、
これはもうグローバル化の弊害でしょう。

ビッグデータで悪用されなければ良いのですが、
誰が誰をブロックして仲が悪いとか、
そんなことまで第三者の知るとこになったら、どうなんでしょうね。


他に乗っ取りやなりすましがおきているようですが、この対策もしたほうが良さそうです。
自動ログインは便利ですが、
スマホや携帯が他人の手に渡ったとき、ちょっとした操作で設定を変えられたら、
乗っ取りやなりすましを許してしまうようです。
セキュリティロックをしっかりかけてなければ、確かに危険ですね。
そして、悪用されればその被害は甚大です。

危惧するところは、まだありましたが、
我が子が利用を始める前に、自分も足を掬われないように、
恐る恐るその利便性と危険性を探ってみようと思うのでした。
by ambitious-n700 | 2015-12-19 11:22 | その他 | Comments(0)

神社巡礼の記録3(明治神宮、大宮氷川神社)

初夏に訪れた明治神宮へ今年二回目の参詣。
前回は菖蒲でしたが、今回は紅葉でございました。

明治神宮の見所としては、
その広葉樹の森も楽しみのひとつですね。
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テレビでも特番を組んでいましたが、
創建される前は、ただの空き地というに等しい所でしたが、
先人たちが50年先、100年先の計画をして、
この森を誕生させたそうです。

神域が作られたと言っていいのか?
多くの生命の息吹が宿ったといっていいのか?
果たして、どれが適切な表現かはわかりませんが、
人々の意思と手によって、
物事はかわることの証明をしてくれている気がします。

社殿で奉拝をしたあと、御朱印をいただきました。

これで秩父神社の他に、
東京五社(日枝神社、靖国神社、明治神宮、東京大神宮、大国魂神社)の
御朱印が揃いました。


他に大宮の氷川神社へも、
師走の『十日市』という例祭にあわせて、参詣してきました。

大宮駅から一ノ宮通りを歩くと、すでに露店が並んでいて、
ケヤキ並木の参道に出ると、
メインになる参道とその脇道に、所狭しと露店が連なってました。

ここまで露店が多いお祭りは初めてかもしれません。

わたあめ、チョコバナナ、焼きそば、お好み焼きは昔から定番ですが、
近頃は目先の変わった露店も目につきますね。
からあげ、シャーピン、おやき、ケバブ、
他には、クロワッサンたい焼き、とりかわ餃子、などなど。
どれも目移りしましたが、物価の上昇を感じてしまいます。
百円玉を握り締めても、もうお祭りでは遊べない時代でしょうか?
私のなつかしい記憶が、物価上昇率についていけません。

参道を抜けて、熊手の露店を過ぎると本殿があって奉拝。
そして、脇の授与所で御朱印をお願いしましたが、
お祭りのためでしょうか?
初めて目の前で、墨を入れていただきました。

きれいな御朱印ができあがるまでの所作は、
確かにちょっと魅かれるものがありますね。

帰りに改めて、ゆっくりと露店を眺めていたら、
太宰府天満宮の「梅ヶ枝餅」の露店を発見!

おぉっ!こんなところで、こんな出会いがあるとはっ!
今秋に読んだ小説「君の膵臓をたべたい」に出てくる餅菓子でもあります。

この偶然はきっと必然!と勝手に思い、値段を気にせず購入してしまいました。

初めて「梅ヶ枝餅」をいただきましたが、
大福とおやきを合わせたような・・・餅で餡子を包んで焼いたものですね。

焼きたてが、確かに美味しい。
ちょっとパリッとした焼き目の食感を楽しめれば、なお良し!ってとこでしょうか。

久しぶりに食の見聞が広がった良い出会いでございました。
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これで無理せず行ける大きな神社の御朱印が揃って、私の気持ちのなかでもひと段落。
来年は、あせらずに、
参詣していない東京十社を中心に巡礼したいと思うのでした。
by ambitious-n700 | 2015-12-13 15:01 | 神社仏閣 | Comments(0)

神社巡礼の記録2(山王日枝神社)

日枝神社へ行ってきました。山王様です。

赤坂は今まで何回か訪れたことはあるのですが、
山王日枝神社へ参詣は生まれて初めてです。

もう・・・なんだろう、その場の空気感からしていいですね。

敷地は靖国神社の方が広いと思いますが、
日枝神社は小高い山になっているので、都心にいながら清涼感を感じました。

まぁ参道の坂道に疲れて深呼吸をしたためかもしれませんがね。

いちょうの葉が舞う境内を歩き、手水舎で清め、社殿で奉拝。
そして、宝物殿で御朱印をお願いしました。
宝物殿には、太田道灌の像や徳川将軍の朱印状や日本刀が見ることが出来ます。

また、結婚式を行える式場やちょっとした和食料理店もあり、
平日だったその日は、ランチ営業もしていました。

メニューを見ると手頃な価格で、
なおかつ、このロケーションでお蕎麦が食べられるなんて、とても心が魅かれました。
しかしここは我慢して、私はそのまま脇の参道をゆっくりと下ります。
すると、鳥居の脇では小さな桜の花がほころんでいました。
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草花に詳しくない私は、
これがこの時期に咲く品種なのか、天候異常のためなのか、わかりません。

そして境内で、昼食の誘惑を振りきった私が向かった先は、
実は事前調査で確認してあった、知る人ぞ知る!フーターズ(赤坂店)でのランチでした。

何が目的で赤坂に来たのか?と問われると答えに窮してしまいますが、
すぐに俗に身を委ねるなんて、ホントに自分が嘆かわしくも感じるのでありました。
by ambitious-n700 | 2015-12-04 16:17 | 神社仏閣 | Comments(0)