新元号が発表されました。もうじき令和時代の到来です。
「れい」の響きから、
他の字のイメージを想起する方がいるとは思います。
目に付くのは、冷、霊、零などでしょうか!?
せっかくなら礼や麗を想起したいものです。
また人の名前だったら、悪い感想はなかなか言えないと思います。
そして、現実に「令和」と書く名の人もいるのですから、
元号の感想とはいえ、マイナスイメージを発信することは、
なんだか失礼に思えなくないなぁ~と感じた私でした。
世相の不安は不安として、あまり負のバイアスをかけずに、
令和時代を良いイメージで迎えたいと思いましたね。
さて、一般に天皇の代替わりで改元が行われるようですが、
此度は、明治天皇も行幸したという西早稲田の諏訪神社へ参ってきました。
山手線「高田馬場」駅で戸山出口をでて、
徒歩10分程度の距離です。
しかし私は、山手線乗車→西武線乗換改札→西武線戸山口へ向かい、
乗換がないにもかかわらず、西武線の駅構内に入ったため外へ出られず、
駅員さんに事情を話して、JRの戸山口改札まで、
ぐるりと戻らねばならないという迷走の果て、諏訪神社へ向かいました。
それでも、なんとか無事に諏訪神社へ着くと、そこは落ち着いた境内でした。
鳥居から少し昇った正面、北を背にした拝殿と本殿。 東側に子供たちが遊べるような広場があり、その手前に神楽殿と社務所。
西側には校倉造の神輿庫や手水舎、
境内社や明治天皇の行幸等の石碑だったと思います。
例にもれず、手水舎で清めて参拝。そして、後朱印の拝受。
御朱印については、月毎に彩りを変えて、趣向を凝らしているようです。
三月でしたので、ひな祭りに因んだスタンプが一緒に押印されてました。
四月は桜をイメージした御朱印のようでした。
諏訪神社ですから、広場を見れば相撲大会の光景が目に浮かびます。
ですが、ご由緒を読むと、創建は小野篁が、
大国主命と事代主命を祭祀したところから始まり、
江戸時代初期になって、縁の強い建御名方命を勧請したそうです。
諏訪系統は山神、狩猟とイメージがつながりますが、
明治天皇の行幸は、射的砲術天覧所址となっていました。
都心にありますが、全体として落ち着いていて、
馴染みやすい町の神社という印象を受けたのでした。