映画「フジコ・ヘミングの時間」を鑑賞してきました。
有名なピアニストぐらいの前知識で、
ほぼほぼ、どのようなお方か知らずに観て来ました。
内容は、フジコ・ヘミングさんの半生記。
世界を飛び回って演奏されていますが、
縁のあった、パリ、日本、ベルリンなどを拠点としているようです。
あまり先入観はなかったものの、
映画の前半は、好き嫌いのハッキリした言葉と、
煙草を片手に静かに眼光を放つ姿に、気難しさを感じました。
やさしさだけが残る、歳の重ね方と違う気がしました。
その半生を知るうちに、
売れるまでは手放しで喜べるような環境になく、度重なる苦労があり、
それがピアノの音色に宿ってから、ブレークしたのかなと思いました。
もちろん映画にピアノの曲が流れているのですが、
聞いていると、おどろおどろしいものを感じざる得なかったですね。
特にリストの曲でしたが…深みのある美しい音色には、
なにか暗い一面を覗かせる響きを感じました。
決して、からっとした明るさや、陽気さなどではなく、
その人生の苦難をのみ込むような強さを宿していたのではないかと…
幼少期の親の存在しかり、現在のペットへの愛情しかり、
私の勘違いかもしれないのだけれども、なにか拭いきれぬ感情を思うのです。
あとで、リストの生涯を調べてみたら、
フジコさんと境遇が似通ったところもあって、
これはこれで、少しビックリいたしました。
また、フジコさんは「魂のピアニスト」とも云われるそうですが、
映画を見ていて、私は舞踊家のギリヤーク尼ヶ崎さんを思い出していました。
ネット動画でしか見たことはないのですが、
ギリヤーク尼ヶ崎さんの舞踊には、
その懸命さと迫力に、紛れもなく魂が宿っていると感じたことがあり、
それと同じような感覚を、この映画からも受け取っていたと思います。
老いてなお、いや、年を重ねたがゆえに、
込める想いが、より強く、観客に響くのかもしれません。
また、確かに凄い人の、凄い映画ですが、
ドキュメンタリーの記録映画となるので、
観る人の好みは分かれるかもしれないなあ…とは思いました。