文豪、太宰治先生の「お伽草紙」を読んでみました。(以下、敬称略)
太宰作品は「人間失格」やら「走れメロス」やらで、
少し馴染みはありましたが、さほど深い共感をしたわけでもなく、
特別な思い入れもないままでございました。
今回、改めて太宰治を読むならば、どれが良いかと物色して、
少し毛色が違った作品ということで「お伽草紙」を手に取った次第です。
「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切り雀」と、
伝承されている四つの話になりますが、
これをデティールをこねくりまわして、独自の解釈で読ませてくれます。
いや、独自の解釈というよりも、おそらくは太宰治が、
自ら作家としての技術を試しているような気配を私は感じました。
歴史小説などもそうですが、視点を変えて、
逆の立場で物事を解釈してみると、違う景色が広がることがあります。
話のあらすじは、現代に絵本となっているものと大差ありませんが、
その行間と奥行きに、独自の感性を付け加えた作品のようです。
そして読後感はよく?面白く読めたのですが、
心に響く内容かと云われれば、そうでもなく、
私には、その読ませる巧みさだけが印象に残りました。
作り方として、弁証法なのでしょうか??
キャラクターイメージやあらすじという簡略化されたテーゼに対して、
可能性として、複雑化したアンチテーゼを妄想して提示します。
そして、アウフヘーベンして、
改めて辻褄を合わせるように作品を練り上げたのではないでしょうか?
ですから、太宰治の独自の解釈と言うよりも、
戯れのなかに、太宰治らしさを加えた作品という表現が、
より適切な気がしたのです。
もし興味をもった方がいるのなら、年代問わず、おススメな作品ですが、
読む前に四つの話のあらすじ位は、おさらいした方が良いと思います。
私は、カチカチ山も舌切り雀も、どんな話かうろ覚えでしたから・・・
また、太宰治の作品はすでに著作権消滅らしいので、
キンドルやら青空文庫やら、無料で読めるらしいです。
便利な世の中になったものですが、
いずれ図書館も本屋さんも数が減ってしまうのでは?と、
時代の流れを感じるのでありました。