先日、新聞で猪木武徳大阪大学名誉教授の記事を読みました。
そこに『必ずしも折り合いの良くない「自由」と「平等」』という言葉に出会いまして、
なるほどなーと、今まで考えもしなかったその関係性にハッとさせられました。
自由を掲げ好き勝手に振る舞えば、個々の行動に差が生じることは至極当然で、
差が生じれば、平等であり続けることができるはずがないですよね。
平等といえば、男女平等や人権問題が思い浮かぶけれども、
平等を勝ち取ることは、
どこかで、誰かの、自由を犠牲にすることにならないでしょうか?
身近な例を挙げれば、
『夫が家事を手伝ってくれない』と家事負担の平等を妻が言えば、
家計の負担も平等でなければ矛盾を生じ、
結果、妻自身の自由を返上しなければならないかもしれません。
また『束縛されるのがいやだ!』と、
有閑マダムが少し値の張るランチを自由に食べていれば、
仕事中にワンコインランチで凌ぐ夫と平等と言えるわけがないでしょう。
残念ながら、世の中には自分の都合で、
やれ、自由を返せ!やれ、平等にしろ!と訴える輩を見かけることがあります。
果たしてどこまでの思慮を持って訴えているのか、
よくよく吟味しないことには、危険なのだろうと思ったのでございます。
平等を勝ち取った時に、自由は蔑ろにされ、
自由を勝ち取った時に、不平等が始まる・・・そんな気がしませんか?
また俗説らしいですが、トリコロールカラーは、
『自由』『平等』『友愛』を表すといいます。
悲しいかな?混ざり合うことはなく、同じ色になりえないことを、
まさに表しているのかもしれないと思ったわけでございます。