暖かい日が多くなってきたので、久々のサイクリングです。
先日、鉄道だと少し不便な立地だったこともあり、
自宅から井草八幡宮まで1時間強、ペダルをこいで参詣してきました。
井草八幡宮は、青梅街道沿いの大きな朱色の燈篭と鳥居が目印です。
杉並区の練馬区寄りにあるのですが、結構広い敷地でした。
参道は道幅も広く、脇には大きな広葉樹が立ち並び、
四十雀の囀りが響いていました。
私はパッと見た瞬間に、明治神宮の参道を想起しました。
ですが、やっぱり少し交通が不便なのでしょうね、
お宮参りのご家族二組を見ましたが、
観光がてらに訪れる人は、あまり見当たりませんでした。
しばらく参道を進むと、朱色の楼門。
そこをくぐって、手水舎で清めます。
私は拝殿の前までに進み、神恩感謝をささげます。
そして、授与所で御朱印を受けました。
拝殿ですが、鳥居や楼門とは違い朱色ではありませんでした。
なんだかアンバランスだなぁ~と思いつつも、
あとで調べてみますと、
拝殿の奥に古い木造の本殿があって、それはどうやら朱色とのこと。
また、創建当時は春日社だったのが、
源頼朝公が奥州征伐の戦勝祈願に訪れたことを機に、八幡宮となったらしい。
さて何のことか?
私はいまひとつわかりませんでしたが、ピンっと来た人は博識です。
朱色の印象的な春日大社ですが、
全国にある春日社は、そこから春日神を勧請した神社です。
その春日神は「武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神」の四柱で、
対して、八幡宮は八幡神ですから応神天皇となります。
どちらも武運のご利益がありそうで、戦勝祈願には適している気がします。
しかしながら、春日神は藤原氏の祖神といわれていて、
源頼朝公が征伐する相手方は、奥州藤原氏ですから、
相手方の祖神に対して、戦勝祈願をするわけにはいかなかったのだと思います。
ここまで調べて、私はようやくこの変遷に合点がいったのでした。
また、頼朝公が井戸を掘り当てるのに、水が湧き出るのが遅かったらしく、
「遅野井八幡宮」とも言われています。
境内は、他に摂社や神楽殿などもあり、
珍しいところでは「力石」が残されていました。
軟弱者の私には、もちろん、どれも持てません。
私は、一旦、東参道の鳥居までゆっくり廻りましたが、
平日の昼間であったためか、寂しいくらいに静謐でした。
そして北参道の鳥居まで戻って、摂社の浅間神社と富士塚も拝みました。
こちらの富士塚は、以前に訪れた品川神社の富士塚などとは違い、
こんもりとした小さな富士塚でした。
帰路も、当然に自転車だったわけですが、
往復したら2時間以上のサイクリングで、
私には、なかなか良い運動になったでした。