「本日は、お日柄もよく」読了。
原田マハさんの著作です。
スピーチライターを題材にした小説ですが、
前半と後半で色合いが違います。
前半は披露宴スピーチ、後半は選挙スピーチを絡めて描いています。
しかしながら、私はいまひとつ主眼となるテーマが感じ取れなかったです。
エンターテイメント小説でもあるし、
スピーチの実用書的な面もあるのでしょうか?
選挙の駆け引きのボリュームが大きくて、政治的側面も見えますが、
私との政治信条は残念ながら咬み合いませんでした。
私も、冠婚葬祭でスピーチをしたことはありますが、
準備をしていれば、ある程度の失敗をしたとしても、
覚悟をもって、どうにか乗り切れると思います。
しかし以前に、葬儀の場で、突然に挨拶を頼まれたことがあり、
同じ言葉を繰り返すことしかできないまま、
一向に話はまとまらず、グズグズになって赤面したことがあります。
よしんば、そんなときにも凌げる方法が知りたかったですね。
スピーチライターが題材ですから、その原稿、ひいては言葉についても、
作家の感性が溢れているのかと、過度に期待してしまったのですが、
残念ながら、私には、もう一押し、キラッと輝るセンスが欲しいように感じました。
作中で「涙」という言葉が多く出てくるのですが、
私自身は涙ぐむこともなく、最後まで読了してしまいました。
登場人物が涙するスピーチのシーンであっても、
読者の私までは、その感動が伝わってこなかったわけです。
情景描写が期待するより少なく、「涙」という言葉だけでは、
私には簡潔すぎて、共感するまでに至らなかったのだと思います。
また、権威主義的な肩書きを用いての演出なのか、
設定が大企業だったり大物政治家だったりして、
大仰なだけで、むしろ、私には白々しく感じられてしまいました。
私は【言葉】も、ひとつの(よすが)と捉えています。
(よすが)→(よすか)→(寄り処)→(よりどころ)→(依り代)
心のこもった【言葉】だからこそ、相手の心に伝わるのであって、
心のこもらない【言葉】は、白々しくて、やはり心には響かないと思います。
上の段の墨カッコ【】のなかを【言葉】ではなくて、
【スピーチ】や【涙】に差し替えても、また、同じことが言えると思うのです。
いかに立派な肩書きであっても、肩書きを強調すればするほど、
「だから、なに?」「ことの本質に関係あるのか?」と、
天邪鬼な私には、疑念が芽生えてしまうのです。
肩書きは、社会的な地位を表すことが主目的ですからね。
ビジネスの場では効果的であっても、
冠婚葬祭の場で、心をこめる場で、ことさらに取りあげる必要もないでしょう。
権威主義的な演出技法が有効なストーリーもあると思いますが、
心に訴えかけるスピーチを題材にしているのであれば、
それは逆効果のように、私には思えるのでした。
こうして「本日は、お日柄もよく」を全編通して読んでみると、
エンタメ的な要素とその演出、題材としてのスピーチテクニック、
そして(おそらく作者の)政治的信条等が散見されたのですが、
この小説で、いったい何を一番にテーマとして伝えたかったのか?
どうにも私にはピンボケしてしまって、表層的にしか伝わってきませんでした。
また、その全てを伝えたいといわれても、
ちょっと盛り込みすぎのようでもあり、
感銘を受けるまでには、至らなかったのだと思います。
あぁ・・・弱輩の身で・・・思った以上に辛辣な書評になってしまいましたが、
前半の披露宴スピーチの部分は、余計な政治的駆け引きもなくて心地よく、
スピーチの心得は勉強になる一冊だと思います。