イタリアの長期政権を担っていたベルルスコーニ首相が辞任を表明しましたね。
女性スキャンダルでも、話題をふりまいた方でした。
イタリアの男性は、女性を見たら口説かないと失礼に当たる!ってぐらいに、
愛を囁くのが日常的なお国柄なようです。
それに感化されて、日本でもパートナーに対して、
なかなか日常で「愛してる」と言ってくれないと騒ぐ女性がチラホラ見受けられます。
まったく馬鹿げた話である。
そして、ケンカになる。
まぁ・・・パートナー同士がよければ良いのが恋愛だから、
軽い言葉と捉えて「愛してる」を連呼して、
チュッチュ、チュッチュするのも咎めはしないけどね。
西洋カブレも大概にして欲しい、とは思う。
本来、「I love you」も、「Je t'aime」も、「Ti amo」も、
日本文化で育まれた日本語の「愛してる」じゃないのだよ。
そして、前述のブログ同様に、
言葉にすればするほど、こぼれ落ちる想いもあるのだよ・・・とね。
「愛してる」と言ってくれないと騒ぐ女性心理に、そもそも愛があるのかね?
「愛してる」の言葉を求めることは、自身の不安解消や欲ではないのかね?
むしろなかなか「愛してる」と言わない側の心理にこそ、
誤解を招いてはいけないと、他者を慮る愛があるのではなかろうか?
所詮「愛」なんて形而上的なものは千差万別。
「好きな面もあるけど、嫌いな面もある」
「愛していても・・・許せない」など、
相反する気持ちをあわせ持つのが普通なのだから、
自分自身をシッカリと把握して、
それを表現できる人の方が少ないんじゃないかと思います。
さぁ・・・では、どうするか?
日常的に「愛してる」と言えない誠意のある皆さま!
言葉にできないならば、
「肩を抱き寄せる」「唇を重ねる」など言葉以外のツールで、
自身の気持ち(≒欲求)を体現して見てはどうでしょう。
これを相手が、誠意と取るか?ごまかしと取るか?
その後の展開に、私も責任はもてませんが、
それもいいじゃないか・・・と思いませんか。
以上、
他愛のない(他者に愛のない)、そして、無責任な考察なのでした。