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晴れやかなる四十路へ!

プレデターから六道世界

「プレデター」って映画がありましたけど、捕食者という意味だそうです。
まぁ、サイコパスを調べたときに引っかかったキーワードなのですがね。

そしたら今度は、「プレデター」って言葉をキッカケに、
私の頭は暴走を始めまして、
いまなぜか、仏教の「六道世界」を調べています。


飲食店でも何でも、時にコストパフォーマンスが悪かったなぁ~と、
感じたことがあると思いますが、
それって、社会的に捕食されたってことじゃありませんか?

まぁ早い話が、ぼったくりバーは、カモ客を捕まえて、
金銭を巻き上げる社会的プレデターってことを言いたいわけです。

時に、その商品やサービスと消費者自身のミスマッチで、
充分な価値が見出せない場合もあるので、
全てが全て、そうであるとは思いませんが、
プレデター的思考で商売をするのは、褒められたことのように思えません。

商人の心構えとしては、
客にも感謝されなければ、商売もそうそう長く続かないわけで、
(商人ならば)「プレゼンターになれど、プレデターになるなかれ。」
・・・って、語呂も良いし、
なかなかの名言になるんじゃないかと勝手に夢想していたんです。

商談を成立させるなら、
お互いにプレゼンターかプレデターか、どっちとも取れないギリギリの契約が、
Win-Winの関係で、次の仕事や縁につながるのかもしれません。

その場限りの売買などなら、
プレデター的な姿勢でも成り立つことはあるのでしょうが、
その姿勢を見透かされれば、被食者となった人たちは二度と近寄らず、
社会から疎外され、寂しい存在になっていくような気がします。


さてそれで、プレデターだけが取り残されたらどうなるのか?

自然界で、肉食獣だけが取り残されたら、壮絶な共食いが始まります。
飢餓状態が続き、その中でも弱いものから、獲物にされることでしょう。
戦国時代の兵糧攻めでも、兵同士が倒れた人肉を求めたなんて話もあります。

そんな光景をイメージしたら、私の頭の中では、
仏教でいう餓鬼世界とイメージが重なりました。

「プレデター」も「餓鬼」も、求めることしかしないんですよね。
抱えた欲を満たすため、他者を慮ることなく、求めることしかしないんです。

そう思ったら、世に言う幼少の「悪ガキ」が、
おねだりばかりの駄々をこねれば、
「餓鬼」と同じ音で表現されるのも道理かな・・・と。

ならば、「ちくしょう!ちくしょう!」と自分の思い通りにならない思春期は、
環境に守られ縛られる畜生道の真っ只中で、
学生を卒業して弱肉強食の競争社会に出されれば、
それは修羅の道かも知れないなぁ・・・と、思ったわけです。

そして、年を重ねて死を意識すれば、命あっての物種と実感し、
自ずと拝金主義から外れ、
修羅の道から人間の道へと歩みを変えるのかもしれません。


昔から言われている六道にある普遍性を、
あぁ・・・おれも六道輪廻しているかも?と、
この年になってようやく感じ入ったところです。

では、人間道の上位にあるといわれる天道は何かと私なりに解釈すれば、
道を極めようとする人たちで、
イチローなどに見られる苦を苦ともしない天才肌で、
浮世離れしたような人たちの道ではないかと思います。

もっとも地獄道は、罪を償うばかりの道となれば、
刑務所の中しか思い浮かばないのですがね。


気にも留めていませんでしたが、現世は憂き世。
迷いの六道は、眼前にそして渾然と存在しているように感じました。


また、貪欲・瞋恚(≒怒り)・愚痴を、仏教では三毒と言うそうです。
それぞれ餓鬼・修羅・畜生の道に顕れているとのこと。

そして、六道の地獄・餓鬼・畜生を三悪趣、修羅を加えて四悪趣です。

今度から反省をする際には、
無い物ねだりをしているなーと思ったら、餓鬼だなぁ~と、
愚痴ばっかりこぼしてるなーと思ったら、畜生と同じだなぁ~と、
怒りに任せて憤りを感じていたのなら、修羅な一面を自分の中に見て、
いずれも人の道から外れた行いなのだと、戒めたいと思ったのでした。


追記、
育児って、まさに施餓鬼と同じ?
邪な気持ちがなければ、
いずれ施餓鬼の功徳は、施主に還るのかもしれませんねぇ。
by ambitious-n700 | 2011-09-27 16:43 | ぼやき | Comments(2)
Commented by 練馬大根 at 2011-10-03 20:37 x
難しい事はわからないけど、子育ては毎日発見があり、反省がありととても楽しいものだと思っております。自分は子供達が巣立って行く時に、「ありがとう」という一言が貰えるように日々頑張っています。
Commented by G at 2011-10-07 12:07 x
子をもって知る親の恩。

私は子をもつまで、なかなか親への恩を実感できませんでしたが、
子ども達は、いつ、どんな、成長を遂げるのでしょうね。
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