我が子が、金閣寺と銀閣寺の違いを見たいと言っていたので、
それを補うため、参考になるかと思って、
みやげ物店で、その資料となりそうな本も買っていました。
そして、私もパラパラとめくってみていると、
やっぱり銀閣寺は凄いことに、改めて感心をしてしまいました。
岡本太郎氏が、銀閣寺およびその庭園を絶賛していたそうです。
なかでも向月台と銀沙灘について、
その形象の素晴らしさ等も含めて、たいへん褒めていたようです。
確かに、実物を目にした時は、
大きさとその存在感に目が惹かれました。
しかし、その存在自体が放つ魅力以上に、深い魅力があるようです。
良くあるパンフレット等に、向月台は、
この上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説が紹介されていますが、
岡本太郎氏が書いた(ある書の抜粋だけでしたが)記事を読んだ私は、
その見解に大いに頷き、そんな俗説はきっと間違いであると思いました。
月待山の麓に立つ銀閣寺のキーワードは「月」。
岡本太郎氏の考察によれば、
池の水面に映る月(=水月)は、「色即是空 空即是色」。
手に取ろうとしても取れない虚のようでありながら、存在する水月。
出家していた義政が、禅宗の「真如の月」を意識したのも当然ではないかと。
そして、向月台が円錐台であるのは、
その登頂の円形は、月を意識し「虚」のような水月を改めて「実」にしたもの。
すなわち、枯山水で水月を表現している・・・ってことらしい!?
そうなると、その円錐の縁は、
陽射しの如く、
池のコロイドと屈折でおきる月光のチンダル現象を現しているのか・・・!?
また、月が天高くのぼった時には、照射角度がピタリと重なり、
きっと向月台の月も、ひときわ強く輝いたことでしょう。
ですから、向月台は其処に座って月を見るものではなく、
向きを変えてとどく月の光を、楼閣から楽しむ台に違いないと思ったのです。
銀沙灘は、そもそも枯山水で池を現しているが、
その凹凸の波形は、楼閣へ月光を反射しやすい角度になっているというし、
銀閣寺へは、真昼間に行って見たところで、
その魅力を充分に味わえないってことかもしれない。
これは、月見の夜に銀閣寺の楼閣から、
定点カメラで庭園を観察すべきでしょう!?
そうでもしなきゃ、この庭園の魅力はわかりはしないと思います。
でも、それをしたらしたで、
実際に目で触れ、身体で感じてこその粋からはずれしまい、
無粋になってしまうのかも知れないのですがね・・・。
河口湖に訪れた時に、
日の出とともに表情を変える富士の姿に興味を覚えましたが、
おそらくきっと、銀閣寺で月夜を過ごせば、
時とともに表情を変える庭園があるのだろうと思うと、
それを作り出した人たちへ、畏敬の念を抱かざるを得ませんでした。
楼閣から見なきゃ意味ないって感じですが・・・これが、向月台ね。